電光稲荷神社〓地図にない町3
2015-07-20



睨み合いを続けていた機動隊が動いた
逃げ惑う群衆
武装した機動隊員が
逃げ遅れた男の顔面を蹴り上げる
丸腰の群衆は投石で反撃だ
火炎瓶がアスファルトを焼く
これはニュースで見る
遠い国のお話ではない
でもみんな
遠い国のお話だと思ってる

そこは海岸だった
古代に住み着いた
海人らの時代から
そこは釜ヶ崎と呼ばれていた

大阪の街が発展拡大するのに従い
大阪の街の外れの
この湿った窪地に
墓地と刑場が作られる
死体を処理する非人が住む以外
その周辺はただ荒地が広がるだけだった

明治になって
大量の人の流入が始まる
博覧会開催のため
スラムの人々を強制的に移住させたのだという
荒地に突如テーマパークが建設され
夜な夜な電光が煌めく
まさに新世界が誕生する
近くには巨大な遊郭が堂々オープン
あぶれる客を目当てに
売春婦や男娼が蠢く
オカマの語源は釜ヶ崎のカマなのだそうだ
ヤクザや芸能人
あらゆる人間がここに集まり
釜のなかは煮えたぎっていく

空襲で町は壊滅する
戦後の大阪市政は貧困と浮浪者対策を重視
結果として西日本各地から
大阪市へ浮浪者層が流れ込んでくる
あちこちに形成されたドヤ街
街の記憶なのだろうか
ドヤ街はいつのまにか
釜ヶ崎一箇所へ集約
町は行政からあいりん地区と名付けられる
歓楽街はキタやミナミが主流となり
残された釜の中はただただ
理不尽と抑圧だけが沸騰している

安く泊まれるということで
昨今は外国人のバックパッカーが増えてるらしい
この日も外国人の団体が道を塞ぐほど
その先にこじんまりと電光稲荷神社はあった
電光という名前が変わってるので調べると
明治の時代に
電光社というマッチ工場があったそうだ
工場建設に
貧民救済の目的があったかどうかはわからない
おそらくはその工場に祀られ
工場労働者達に親しまれた
お稲荷さんだったのだろう

遠い国のお話ではない歴史
遠い国のお話ではない現実
国や行政がどうするつもりかは知らない
どうすべきかなど語る資格も力量もない
ただ遠い国のお話ではないことだけは
知っておかねばならない
と思う

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電光稲荷神社
大阪府大阪市西成区太子1-10-16
[稲荷]
[大阪]

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