聖徳太子の手には七星剣
禍々しくも妖しい光を放ち
刀の前に立つ者を凝固させる
刀身に刻まれたのは
七つの星
北斗七星
訳のわからない仏教なんてものを
この国に持ち込むからこんなことになるのだ
この国にはもうずっと昔から
八百万の神がいるではないか
だからこんなことになるのだ
天皇まで病に伏された
見てみろ
蘇我氏とともに大和朝廷の政権を二分した物部氏
天皇が変わろうが
その地位が揺らぐことはなかった
そもそも物部氏の祖先は
神武天皇よりも先に
大和の地に天降った
饒速日命ニギハヤヒノミコトとその一族なのだ
彼らは巨大な磐船で空から降りてきた
遠く宇宙の果てから
彼らはやって来たのかもしれない
それが面白くなかったのか
あるいは財産目当てという説もあるが
日本書紀では
仏教の普及で激しく対立したため
物部守屋は蘇我馬子によって
殺害されたと伝えられる
その際に
若き聖徳太子は
その戦いに勝った暁には
四天王を祀る寺院を建てますと戦勝を祈願したそうだ
四天王寺の起源である
そして今でも
四天王寺の境内には
物部守屋を祀る祠がある
そこは毎月22日だけ近づくことが許される
22日は聖徳太子の命日だ
西を向くと
海に太陽が溶けていく
そしておそらく
永遠の再生が約束される
四天王寺はそんな場所を選んで建っている
たくさんの死者と共に
物部守屋は弔われた
かのように見えるのだが
どうやらそんな
寝ぼけた坊主の説教のような話ではないのだ
慰霊や供養なんていう生易しいものではない
そもそも物部一族は
モノを扱う役回りと共に
呪術を駆使する一族であった
殺っちまった方にしてみれば
これは何が起こるかわからんぜと
皆恐怖したに違いない
別の呪術一派によるものか
憎しみと怨念を失うことのない物部守屋は
永遠に残酷に
そこに封じ込められた
四天王寺は実は
聖徳太子の伝説と仏教寺院という形態で
カモフラージュされた呪術装置であり
古代から続く怨霊信仰の
歴とした神社なのだ
これが
釈迦の教えとは似て非なる
そしてその後独特の変遷を辿る
日本の仏教の起源であるのだ
四天王寺七宮の現在地と跡地をラインで結んだ
この地図を見ていただきたい
守屋祠をぐるりと取り囲む七つの神社
いびつに歪む北斗七星
まるで物部守屋の首筋に
鋭く七星剣が
突きつけられているようではないか
守屋祠
大阪府大阪市天王寺区四天王寺1-11-18
四天王寺境内
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