皆中稲荷神社
2017-07-30



辺り一面が焼け野原だ
巨大な破壊が通り過ぎ
俺達は何もかも失ってしまった

蛆虫のように
うじゃうじゃと
生きていた人が集まり始める
汚れた顔のまま
襤褸を纏ったまま

夥しいバラック群
細い路地には
小便の臭い
此処は俺の場所だよと
権利は主張され
呆然としていた行政が
気づいた時には
既になす術もない

徳川幕府の鉄砲部隊である百人組
彼等の居住地が
百人町の由来である
なにせ徳川安泰の三百年
彼等は鉄砲の稽古や
警備などの仕事はしていたが
戦争に駆り出されるわけでもなく
給料も安いので
副業でつつじを栽培するなど
なにやら呑気な生活だったらしい

明治以後は
陸軍技術本部が置かれるなど
軍都としての様相を呈すようになる
それが為か
第二次世界大戦では
激しく空襲の標的となり
廃墟と化す

皆中稲荷から
異国の料理店と
外国人が犇めく通りを
北に向かう

百人町三丁目あたりから急に
不自然に町割りの狭い
密集した戸建ての住宅地が現れる
戦後の荒廃した土地に
次々と建てられたバラック住宅の
痕跡が町割りに残っているのだという

やたら土地が歯抜けになっていて
区の管理地だったり
ポケットパークという公園だったり
その横で
そのまま建て替えられたのか
新しい家には
ベンツが停まっていたりする

皆中稲荷は
みなあたるという意味で
百発百中を祈願する
百人組の輩に
信奉されていたという
今では
ギャンブルや宝くじが当たるといった
俺だけに幸福が当たるようにと
考える輩で賑わう

今度空襲があったら
それで生き延びることができたら
俺も戦後のドサクサで
東京の土地を手に入れてやるぜ
俺だけに
俺だけに

みなあたるは
みんなにあたる
だといいのにな

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皆中稲荷神社
東京都新宿区百人町1-11-16

[新宿区]
[稲荷]

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