平和な時が続いている
もはや戦に駆出されることもない
将軍もすでに八代目
勇猛果敢であった祖先のことを
覚えている者も少ない
ようやく深川八幡門前の町屋建設の許可が下りた
当然、町名は佃町と付けよう
岡場所で流行る場所だ
陸のビジネスでも一発当ててやるぜ
江戸時代
深川は吉原に匹敵する一大遊里であった
遊女はあひると呼ばれた
別にアヒル口だった訳ではなく
船頭の隠語で二百のことをガァと言ったらしい
揚げ代四百文でガァガァで家鴨だそうだ
公許の吉原とは違い
格式に拘らない気風は
鯔背で御〓な後の辰巳芸者を誕生させる
明治、大正、昭和と遊里は隆盛を極め
バブルと共に完全に消滅する
有事の際の備えであったのに
いつまで待っても有事は訪れず
その機能の記憶も薄れていく
あとは時代と共に立ち居振る舞うしかない
全てが過ぎ去ったこの街に
海人族の末裔が建てた小さな住吉神社だけが残る
佃町の町名も今はない
住吉神社
東京都江東区牡丹3-12-2
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