甲大神社
2020-05-06



天慶3年 西暦940年 2月14日
平将門は藤原秀郷の放った矢で
顳〓を射抜かれ絶命した
吾こそは新皇であると
この関東の地で独立国家を築くことを宣言し
日本中を震撼させた男だ
それ以後1000年を超え
今日に至るまで
この国にそんな豪快な男は
一度も登場していない

リーダーを失い
残された一族郎党は
住み慣れた土地を捨て四散する
残党狩りは峻烈を極め
国を挙げての大捜索が行われた
遠くへ遠くへ遠くへ
関東には広く
落人の伝説が無数に残る

千葉県市川市にある甲大神社には
将門の兜を祀っているという伝承がある
そして武士がこの社の前を通ると
必ず落馬するのだという
一見意味不明な話が添えられているが
まるで将門が
残党狩りの追手から
守ってくれてることを伝えているように
私には思える

江戸川に沿ってこの辺りは
中世から製塩業が盛んであったらしい
大和田という地名が残っているが
中世のある時代に大和田村は
稲荷木村と河原村の間の地に
塩焼稼業の為
全村集団移転した
という記録がある

将門の乱から僅か50年程
この大和田村に兜宮
現在の甲大神社が勧請されている

この2つの事柄は
決して無関係ではないだろう
恐らくは落人あるいは
将門に何らかの所縁のある集団が
職業を得て定住を図った
と考えていいのではないだろうか

将門に関連する寺社や史跡は
日本中に無数に存在する
もちろん調伏派のものも多数あるが
シンパもやたら多くある
この甲大神社もその一つであろう
将門という男は
それほど信頼と敬意を抱かせ
人々を惹きつけてやまない
リーダーであったということだ

危機的状況の中で
私達の行く道を
明確に自分の言葉で語ってくれる
そんなリーダーを求めることは
果たして大それた願いなのかしら
人の悲しみのわからないぼんぼんでは
そりゃあ無理だぜ

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甲大神社
千葉県市川市大和田2-5-4

[平将門]
[誉田別命]
[千葉]

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