2019-10-06
夕暮れの街を群れを成して進む労働者
誰も口を開かず只黙々と
西から東から南から
沈黙の儘次々に合流する男達
灰色の作業着に身を包み
私もまたこの夕暮れの道を進んでいた
決まったことを決まった通りにやっていれば
貧しさから抜け出せると思っていた
私は
何も知らなかった
前進する足音が怒涛の様に響く中
傍で女性の歌声が起こる
寄宿舎で待機する様言われてた筈の
女工達が集まっている
前の方で沸き起こる怒号
警官隊と激突し縺れ合う労働者
突如亀戸の街は市街戦の様相を呈し
私もまた厳つい警官にしたたか殴られた
血に染まる視界の向こうで
まだ幼い女工が目を腫らして泣いていた
明治10年も過ぎた頃
政府による殖産興業の旗印の下に
驚異的なスピードで産業の近代化が進んだ
日本全国に次々と建設される紡績工場や紡織工場
西欧から取り入れた機械と手法により
日本は軽工業において輸出大国となった
猿のように真似するのが得意で
勤勉と忍耐が強みの日本人は
西欧から機械や技術をバンバン取り入れ
遮二無二モノを生産し始めたのだが
生産に携わる労働力のマネジメントにおいては
どシロウトであったのだろう
あちこちで労働争議なんてものが巻き起こった
亀戸にあった東洋モスリン株式会社では
明治末に大規模な労働争議が起きている
特に女性運動家達がここを舞台に
活発な運動を展開していたようだ
教科書に載っていた「女工哀史」は
似たような名前で東京モスリンという会社の
労働者が執筆しているようで
同時代の悲惨な女工達の様相がレポートされている
今や余程の暇人か酔狂でないと読む人もいまいが
これを機会に岩波文庫を読んでみた
当時のヒステリックな社会主義の匂いが鼻につくが
冷静なデータとして読むとなかなか面白い
非衛生的な寄宿舎に押し込められ
外出も許されず
朝から晩まで高温多湿の工場で働かされる女工達
彼女らは田舎の農家の娘などで
募集人の優しい口車に乗せられ
借金のカタに連れてこられるという
まるで女衒が暗躍した
吉原の遊女の構造を彷彿とさせるような話が続く
ただ冷静に読めば
工場に託児所を設置したり
遠足やら運動会やったりといった
福利厚生を企業は考えていたのがわかる
筆者は運動会の弁当がしょうもないなど
その内容を批判してはいるが
このような話は
得てして自虐史観に陥ってしまいがちであるけれど
一方で労働者による闘争の歴史と
労働基準法ほか制度の確立や
もちろん会社側の努力もあって
世の中は少しづつ良くなっていったのだなあ
と思うくらいで良い
昭和5年
大量解雇反対を掲げた従業員はストライキに突入
この時参加した女工は2062人
地域を巻き込んだ大闘争は
会社側も強烈に対抗したのだろう
組合側の敗北で終結したという
東京大空襲により
この亀戸周辺は灰燼に帰す
女工の扱いも労働争議の諍いも
東洋モスリンも東京モスリンも
戦後には引き継がれなかったようだ
同業のカネボウや東洋紡などは
優良企業として今に至っているのを見れば
やはり駄目なものはいづれ破壊されるのだ
さて神社の話であるが
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